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バイエルン領土のなりたち

古くからのバイエルンの領土は、今日では「アルトバイエルン」と呼ばれる地域だけである。すなわちオーバーバイエルン、ニーダーバイエルン、オーバープファルツの三つの行政区域に該当する。

 1803年から1815年に、今日のバイエルンの北部と西部をなす地域が、新たにバイエルンの領土となった。すなわちフランケン地方とシュヴァーベン地方であるが、アルトバイエルンとは言語も気質も異なる。今日でもこの両地方には、プロテスタント信者が過半数を占める地域が健在である。

 1945年から1948年に、ヨーロッパ東部や南東部にあった旧ドイツ領を故郷とする190万人の引揚者や難民が、バイエルンに移住した。なかでも圧倒的多数を占めたズデーテン地方からのドイツ難民(ズデーテン・ドイツ)は、1962年に、バイエルン古来の三大部族に並ぶ「第四部族」という名誉称号をもらった。

 古来よりバイエルンの領土であった広大なライン・プファルツ(カイザースラウテンを中心とするライン河沿岸地域)は、1946年にバイエルン州から割譲されてラインラント・プファルツ州に編入された。

 1950年に制定されたバイエルンの紋章には、それぞれの地域の歴史が表されている。例えば、紋章の左上部分を占める黒地の金獅子は、1214年にバイエルン公ルードヴィヒがドイツ皇帝から拝領したライン・プファルツ辺境侯の旗印である。金獅子自体は、アルトバイエルンとライン・プファルツを何世紀にもわたって治めたヴィッテルスバッハ家を象徴する。今日のバイエルン紋章の中央部を占める青と白の菱紋は、もとはボヘミアを支配したボーゲン家の家紋であったが、1247年に同家が没落して後、ヴィッテルスバッハ家の旗印となった。

青と白は、今日のバイエルン州のシンボル・カラーとされている。