Trennlinie 01 Trennlinie 03
 Geschichte Bayerns > Die Geschichte > Bayern in römischer Zeit
ローマ時代のバイエルン

かつて500年余りの間、現在のバイエルンを構成する広大な地域は、ローマ帝国の属州であった。この属州はラエティアと呼ばれ、後にラエティア・セクンダとなり、その主都はアウグスタ・ヴィンディクムと呼ばれた。これが今日のアウグスブルクである。

 ローマ人たちは属州の建設を計画的に行い、まず軍事基地、次いで村落や町を整備し、綿密な道路網を敷設した。その遺跡は、ケンプテン(ローマ名カムボドゥヌム)、レーゲンスブルク(カストラ・レギナ)、パッサウ(バタヴィス)などの町に残っている。最も重要な交通の要所はアウグスブルクであった。当時のイタリアへの街道、ヴィア・クラウディアは、ここからケンプテンを経由していた。

 ハドリアヌス皇帝の治世(117-138)に、ラエティアはその最盛期を迎えた。 属州の防壁としてリメス・ラエティクスと呼ばれる城壁が築かれた。キリスト教化は紀元320年にまでさかのぼる。

 その後、ラエティアは、度重なるゲルマン民族の侵攻を受けるようになり、ローマ人によるラエティアの統治は、紀元500年頃に終わる。しかしローマ人による植民地化は、この地方に石造建築、浴場、ガラス生産、ブドウ栽培など独特の文化をもたらした。中世初期になっても、ラテン文字や数多くのラテン語表現は生き残り、それが、今日までバイエルン言語の中に継承されている。