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学術教育のにない手は国家

1802年-1823年に150の修道院が廃絶された後、学術資料を収蔵する収集館や資料館が設立され、大学での研究に寄与した。学術のにない手は国家に移った。

 バイエルン王国は、大学町の数を9カ所から3カ所に整理縮小した。プロテスタントとカトリックの混在したフランケン地方では、エアランゲン大学とヴュルツブルク大学の2カ所、そしてミュンヘン大学である。現在のバイエルンには、国立総合大学が9校、高等専門学校と単科大学が17校ある。私立の高等教育機関としては、アイヒシュテット・インゴルシュタットのカトリック大学などがある。バイエルン全体で、大学生人口は20万人に上る。

 1759年にバイエルン学術アカデミーが創立され、現在39の専門委員会と、300人の常勤研究員を擁する。